2014年5月 版元が変わって光文社文庫より発売。以下の書評は新潮文庫時のものです。
●山形孝夫(宮城学院女子大学教授・宗教人類学/新潮社「波」99年1月号)
「荒野に夢中」
姫野カオルコさんの最新作『整形美女』を読んだ。タイトルどおり、整形美容を題材にした作品だが、ストーリーの背後には旧約聖書のおそろしくシーリアスな
カインとアベルの物語が暗号のように埋め込まれている。
登場人物の繭村甲斐子、望月安倍子は、カインとアベルの分身であり、整形外科の老医師大曽根三カ衛は、天使ミカエル(注・加藤りぬ、は列聖カトリーヌ)に
違いない。
物語は、整形美容術の、どのようにも変身できる幻惑的なテクノロジーのディテールについて語りながら、やがてしだいに、男性社会が女性にたいして突きつけ
る紋切り方の美意識に凌辱され、心にトラウマをかかえて生きねばならない若い女性の葛藤の、やり切れない内面にまで、読者をひきこんでゆく。
『整形美女』は、そうした虚構と現実の境界に生きるふたりの若い女性を描いている。
ところで聖書のカインとアベルとは、どのような物語であったか。カインとアベルは、エデンの楽園を追放されたアダムとイヴの息子たちである。このふたりの
兄弟が、優劣を競って激しく争い合うなかで惨劇は起きた。敗北した農耕者カインが、羊飼いのアベルを殺害してしまうのだ。神は、カインを断罪し、不毛の荒
野へ追放する。カインは、荒野をさまようものとなる……。
小説『整形美女』の最終章はまさに荒野である。作者は、甲斐子の物語の結末を、カインの運命とぴったり重ねている。甲斐子は眉間に深い縦皺をよせながら、
悲しみの荒野を歩いていく。しかし不思議なことに、その後ろ姿は罪におののくカインのようではなく、なぜか颯爽と風邪を切るよにさえみえるのだ。作者はそ
れを昆虫標本の表記のように「荒野に夢中」と書いている。
いったい、この相違はどこからくるのだろうか。
ひとりの読者としては、この不思議に奇妙にひかれた。そして作者が、きわどい仕方で、ラストの惨劇を回避していることに気がつき、愕然としたのだった。
甲斐子が安倍子を追いつめる場面は、再三ならずあった。甲斐子がまなじりを決し、安倍子の襟を掴んで締め上げるシーン……。甲斐子の目は、獲物を狙うもの
のように、らんらんと輝いていた……。
作者は、なぜ惨劇を避けたのか。その謎を解読することは、読者から、小説の醍醐味を味わう幸福を奪い去ることになりかねない。それはまた、カインとアベル
の物語に隠された古代イスラエル人の知の秘密をうっかりかすめとることにもなりそうだ。深入りしないことにする。
先にも触れたが、甲斐子と安倍子は、カインとアベルの分身である。それにしても、彼女たちの「美しさ」への競争の、まるでアクロバットのような変身願望
は、いったいどこからくるのだろうか。
ふたりは、美と醜の、あいまいな境界を、まるで犠牲獣のように傷を負い、苦しみながら生きている。美とは何か。醜とは何か。この議論が、小説の大半の分量
を占めているのは、この作者のねらいが、そのあいまいなセクシュアリティの境界を切り裂くことにあったからに違いない。
たしかに小説には惨劇はない。甲斐子も安倍子も、その限り、それぞれめでたく結婚し、(注・あるいは商売が成功し)、そこがエデンの東の荒野であることな
ど、とんと忘れてしまったかのように暮らしている。
しかし、忘れてはいけない。そこはエデンの東、セクシャリティという名の欲望の吹き荒れる荒野なのである。
このように各と、読者は主題の重さにひるみそうになるのだが、そこを作者は、お洒落なダジャレで駆け抜ける。そしてふと気がつくと、なぜか近頃日常化しつ
つある整形美容の非日常性が、まるでホラーのようにたちあらわれてくる。その巧妙な仕掛け、おかしさと深刻さ。
最後に、整形外科医大曽根の存在は絶妙だ。まるで天使のようだと書いたが、この曖昧な境界に、身をさらして生きねばならない甲斐子の運命を、冷めてはいる
が、どこか温かな、そして悲しそうな目で、いつもじっと見つめている。そのような希有な存在だからである。
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●古川美穂(週刊宝石/月号不明/お局店員イチオシ本のページ)
相当におっかない小説である。『整形美女』という題を見て、「人知れず整形手術をして美
しく生まれ変わった女がこれまでの人生に報復しつつ虚飾にまみれた幸福への道を突き進んだ果てにマイケル・ジャクソンのごとく顔面崩壊の恐怖にあえぎなが
らついには破滅していくサスペンスなんだろうな。こわ〜」
と勝手に想像をして手に取ったのだが、実際にはもっと根源的に恐ろしい話だった。
22歳の繭村甲斐子は美容整形をするために、老医師大曽根のもとを訪れる。大曽根は甲斐子が整形したいという理由がどうしても納得できない。なぜなら、大
曽根の目には甲斐子の容姿が完璧なものに映ったからだ。
大曽根は偶然に知り合った青年たちに甲斐子の容貌について訪ねるが、誰も彼女を美しいとは言わない。それどころか、青年のひとりに「堀辰雄の小説に出てく
るようなすごい美人」の恋人、望月安倍子を紹介され、言葉を失う。
(これはブスだ…どうしたらいいのだ…これはいったい)
読者の価値観をも足元からグラつかせる、ミステリアスな滑り出しだ。
主人公は甲斐子と、郷里で同級生だった安倍子。ある意味で両極端の外見をしていたこのふたりは、美容整形によってそれぞれ自分が持っていなかったものを手
に入れる。表層的な言い方をすれば「美女からブスへ」と「ブスから美女へ」、これは甲斐子と安倍子のとりかへばや物語だ。
自らの『計画』に従って変身してゆく甲斐子。整形の魔力に捕らわれて変貌してゆく安倍子。
フーガの形で描き出される、この生々しい窯変。幸福を求めてかぶった仮面は、やがてふたりの精神までも壮絶に変化させる。
そして観察者としての大曽根に突きつけられる「なぜ整形は不倫か」の問。後ろ暗く、どこかいびつさを感じさせる『美容整形』という言葉のもつ陰を、この小
説はみごとにあぶりだす。
普通の女のコでもごく気軽に美容整形を受ける時代である。この本を読んだ後に、奥さんや彼女の顔をじっと見てほしい。
笑顔の奥に隠されているかもしれない暗闇を想像するだけで、冷たい汗が流れるはずだ。
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●安斎浩一(婦人公論・99・7月号)
オビの文句。「整形美女はあなたのすぐ隣にもいる!」
この文句、あながち嘘ではないのが怖い。まあ、すぐ隣にはいなくとも、向こう三軒両隣よせきにかもしれなき。今、それくらい美容整形が流行ってるらしい。
で、その名もズバリ『整形美女』。タイトルどおり、美容整形を題材にした長編小説だが、これがすこぶる面白かった。『旧約聖書』の「カインとアベル」の物
語が下敷きになっており、ふたりの主人公(繭村甲斐子と望月安倍子)はカインとアベルの分身である。
大きな読みどころがふたつある。むろん、ひとつは美容整形の世界を徹底的に描き込んだ点である。まぶたの皮膚を縫いとめる二重手術、シリコン・プロテーゼ
を注入する隆鼻術、頭皮をひっぱって縫合するフェイスリフト等々、施術のディテールはもちろん、悪質な美容外科の詐欺まがいの手口、被手術者の微妙な心理
(つねに整形がばれることをおそれ、セーターを脱ぎ着するときですら顔の裏の詰め物にびくびくしなければならないetc
)などがふんだんに盛り込まれていて、実に興味深い。
そしてもうひとつ。非常に刺激的で面白かったのが、美醜をめぐる考察である。主人公の甲斐子はもともと絶世の美女だった。ところが何を血迷ったか、「まめ
つぶのような目、低い鼻はわずかに上向き気味、小さな口にボテッとしたほっぺた」というブス顔に整形してしまう。なぜか。実はこれこそ甲斐子の考える美人
顔なのだ。要するに逆さまの美意識。一種の倒錯世界である。だが、なぜかブスになった甲斐子はモテはじめる。こうなると、何が美しくて何が醜いのか、読ん
でるこっちもわからなくなる。しかし、そこに著者の狙いがあるのは言うまでもない。そもそも美と醜の境界はあいまいなのだ(そして虚構と現実も)。独特の
倫理主義を黒々としたユーモアでくるんだ傑作である。
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☆あとは
・小谷野敦(朝日新聞・99年3・25夕刊) 角を立て続ける痛快さ
・斎藤美奈子(週刊朝日・99・4・2号) 人間の原罪を連想させる主人公の名。
・美容整形で彼女たちは幸せになれるのか・敷村良子(産経新聞・99・2・28)
・大沢真知子(共同通信経由、新聞記事) 笑えない真実と恐怖が潜む
☆著者インタビューとして
Hanako 99年534号
リーフ 99・5月号女性自身 99・2・23号
マフィン 99・5月号
モア 99年4月号?もしくは5月号
週刊読売 掲載月号不明
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