『文藝』
(河出書房新社)2001年夏号
ききて・矢部智子


例えば、最新刊の文庫『レンタル(不倫)』は、赤い帯に踊るワイングラスと 「愛の一冊」の文字……。

これだけで、早くも読者諸氏が踵を返すのを、力づくでこちらに向けよう。

姫野カオルコの小説は、本の外観から想像するイメージをはるかに超えた、ミラクルかつパワフルな作品である。

歯の浮くようなピロートークはいっさいなく、手垢のついた恋愛イデオロギーに鉄拳をくらわす。

まさに食わず嫌いにしてしまうにはあまりに惜しいハイパー小説なのである。



−−−−−−−−★−−−−−−−−−

−−矢部

姫野さんの作品は、エンターテイメント系の媒体に載ることが多いこともあって、正直言って「ワタシとは関係な い」って感じでいました。お名前の印象もあったかも……。


−−姫野

本名の香子(きょうこ)の読み方をかえて片仮名にしたのです。印象が全然変わるから。変えなくてはならない家庭の 事情があって……。詳しく言えませんが、

「小説を書くなど河原乞食のすること。親の顔に泥を塗ること」と考える世代や地域や人種も存在するのです。

一昨年かそこらくらいまで、私、ずっと親族一同に(小説を書いていることを)隠してました。共同印刷で電算写植の 仕事をやってるってことになってた。

それと、編集者から「あなたは大きな賞をとって出てきたわけでも、人が注目す るような恋の噂もないんだから、誰にでも読めて覚えてもらえる筆名にしなさい」 ってアドバイスされて、姓名判断もしてもらって、片仮名に。

姓名判断師さんは「馨子、の字画もよい」と言ったんですが、それだとシックすぎてなんだか深窓の令嬢はたいじゃな いですか。どのツラ下げてこんな字使えるのよって恥ずかしくて……。

それに片仮名になった自分の名前を見た時、笑っちゃったんです。だってオカルトとコミカルとオマンコに似てるじゃ ない? それにカラオケにも(笑)。でも、小説を書くってそうかもー、とか思って。

だから、これが『アンアン』などに載ると、すごく「かわいい」っぽい感じがするってことに、全然気がつかなかっ た。

その後、歌手の新井薫子さんが再デビューしたときに「カオルコ」の名前で出られて、おしゃれな少女のイラストとポ エムを文芸雑誌に連載されてたりしたので、混同する人がいたらしい。

あと、イラストっていうので、今度は桜沢エリカさんと混同する人もいたみたいです。げんにイラストの単品の注文が 来ましたもん。

さすがに平田オリザさんと間違えてる人はいないと思いますが、いろいろな混同があって、姫野の書く小説について、 (一般読者よりも)特にこの業界の中での錯覚っていうのかな、生まれちゃったような気はします。



−−矢部

今回は、注目の作家のひとりとして御紹介させていただくのですが。



−−姫野

今年度注目の作家とか、今年活躍が期待される人とか、タイトルは違えどそういう類のページに、今までずいぶん出さ せていただいたんですよ。幸いなことに。 でもそれが、ず−−−っと続いてるの。ほんと、本番はいったいいつよ? って感じ(笑)。

だから、大晦日とか土曜の夜とかクリスマス・イブとか文化祭前日とか、なんかもうずーーっと前夜祭の気分。前夜 祭って、すごく楽しいですよね。それはいいんだけど、大晦日や12月24日や土曜の夜には、決して光はないんです。夜なんですよ。

それでもう〃前夜祭作家〃って言ってるんですけど、自分で(笑)。



−−矢部

それはもしかすると、発表する媒体が違ったのでは?



−−姫野

最近、どうやらそうらしいと、うすうす……。どうやって売っていくかというこを、ハナから全っ然考えてなかったん ですね私に限らず、たぶん他の皆さんだって「ボクはこの年にはこういう賞をとって、この年にはこういうメディアで活躍して……」とか具体的に考えないと思 うけど、(小説の世界に)入ってきて、巡り合いがあり、話したりしているうちに、「なんとなく、こんなカンジ」くらいのぼんやりした「自然な」自己プレゼ ンラインができていくはずが、私はまるでできなかった。 出荷先をてんで間違えてたってのはありましょう。



−−矢部

純文学の分野で発表しよう、という意思はなかったんですか。



−−姫野

それは行きたいとか、行かないとかっていうことじゃないんじゃないかな。いわゆる純文学と純文じゃないものの区分 けを、私は、抽象画と具象画だとしています。

別の言い方をすると、純文=心境小説。登場人物の思っていることが主に綴られている。なので、純文学を書くことも あれば、純文じゃないストーリー小説を書くこともある。 そういうのがあたり前だと思う。

だいたい純文学小説に相対するものがエンターテイメント小説っていう区分けはヘンですよね。純文をエンターテイン (たのしむ)する人もいるんだし。



−−矢部

それでも「現状の区分けで指すところのエンターテインメント」として出されているからにはやはり部数が違うのでは ないですか?これだけ筋も面白ければ……。



−−姫野

私の本が? いや、売れてないです。それはもう、きっぱり。

小説を瓶だとします。活字の並び方(綴られ方、内容、味)を中身とします。

と、まず瓶ですが、ビールの大瓶と、カルピスの瓶って、包装紙取るととても似てる。

だから、ビール瓶に水玉の包装紙巻いてカルピスの売り場においておいたようなものなんです。そのほうが売れると 思って。

でも、よく考えたら「カルピスどこかな?」って来る人は清涼飲料水を求めて店に来たわけだから、ビールを「カルピ スの新しいシリーズかな?」と思って買ったとしても、家で飲んだら「げ、へんな味」ってビールに反感持つだけだし、ビールを求めて店に来た人は、カルピス の置いてある棚なんて見ない。お酒が欲しくて買いにくるわけだから。 カルピス類の棚なんか「自分とは関係ないや」ですよ。

なのに、カルピスの棚に置いたビールはなんで売れないんだろうと思って、私も担当編集者も工夫したんです。ピンク の包装紙にしたらどうだろうとか、リボンを付けたらどうかとか、一生懸命考えた。でもそうすばするほど、ビールを求めて来た人は「あれはどこからみても清 涼飲料水、ビールじゃない」って、ますます棚に寄りつかない。

今まであんなにいろいろやってみたことが、ものすごく徒労だったんだなあって、最近になってようやく気がついた。

それに、雑誌関係やマスコミの人も、実際に棚の全商品を飲んでみるわけじゃいですから、カルピスの棚にあればカル ピス類の新商品だなって思い込む。思い込んでいるマスコミの人から雑誌コメントなどを依頼されれば、私はコメントしますよね。一生懸命、本を売ろうとし て。するとその人は「カルピスで活躍 中の人(のコメント)」って紹介するから、ますます本来の売り場から離れていってた気がします。

誰のせいとか何のせいとかいうのではなく、小さな誤りがドミノ倒し的にあった気がします。



−−矢部

ところで、姫野さんはどんな作家がお好きですか。読者に、少しくらいは「便宜上のグループ分け」も示したほうがい いかもしれないので。



−−姫野

読むのがすごく遅いのと、ひとたび気に入るとえんえんとその人ばかり読む傾向があるので、まだ巡り合っていない大 好きな人もたくさんいるのにそれを抜かしていることをお断りした上で、名前を挙げます。

橋本治さんと山田風太郎さん。橋本さんは、読んでいると感受性が昂奮してきて、伴宙太みたいに目の幅で涙が出てく る。うっかり外で読み出しちゃって、お店の中とかで泣いていると、親しいお店の人に「そんなに可哀そうな本なのね」って(笑)。可哀そうで泣くわけじゃな いんですよ。



−−矢部

文章の流れ、とかに感動して?



−−姫野

うん。あと論理の展開とか。それとあの知性の高さ。それから山田風太郎さんは、すっとぼけて、すごいことやってく れて、やっぱりすっとぼけてるところ。

でも、ハイパー文学系というグループ分けして、橋本さんと風太郎さんと一緒に、私が入っていると、二人が気を悪く されたらどうしようかと、今、恐ろしいです。こんなバカ女と一緒にしないでくれないって(笑)。だって二人はすごく博学。私はただの青学ですから。知性で はとうていお二人の足元にも及びません……。



−−矢部

倫に外れる、ということをよくお書きになりますよね。倫に外れることが嫌いですか。



−−姫野

ルールは守りましょう、っていう融通のきかない風紀委員っぽいところがあるのは確かです。

ただ、作中によく出すのは言葉へのこだわり。「不倫」って、パンを盗んだり、違法駐車だって、「倫」に背くんだか ら不倫なのに、妻帯者と独身女の恋愛ばっかりを不倫っていうじゃないですか。

ニュースなんかでも「不倫関係にあった」とか。いつの間にそんなふうに決めたのよ、って思って。ひとつの言葉に対 して、その言葉を大切視しないで使うのがいやなんです。文筆業者として。

あと「エッチした」とか、「キレた」とか。ほんとにいや。すごくイヤ。



−−矢部

言葉に対するこだわりもあって、常套句である恋愛というものを素材にしているのでしょうか。



−−姫野

工夫でしょうか。 プロなんだからお客様に売る商品には、お客様がちゃんとたのしんで読めるよう工夫しないといけません。

もし多くの人が「畳」にこだわってて、いい畳を作りあげるのにどういうい草を育てて、どういうい草から作るとい い、ということに興味を持っていたら、たぶん、畳の話にしたでしょう。

やはり多くの人が読むにあたってなじめる要素を工夫しないと。

純文だろうがミステリーだろうが、小説はショービズなんだから、オナニーを見せるでかまわないけど、ちゃんとした オナニーショーにしないとプロではないと思います。暗喩ですよ。念のため。

(2001・3・9)


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