おなじみの学校の怪談を、ひとひねりした表題作「よるねこ」。女性の恐ろしさを痛感させる「女優」。「探偵物語」における奇妙な謎と恐怖のブレンド……。所収8話どれもが怖い。
「猫は向こうのほうへ歩いていった」。唐突な母のひとことから、女学生時代の母が見た奇妙な光景が重なる表題作ほか、雑誌「小説すばる」に掲載された、幻想的なホラー短編小説を計8作品収録。「ひとよんでミツコ」(集英社)などの独特の哲学と発想力で多くのファンから支持される著者の、新境地ともいえる作品集。
毎日新聞 02.9.8に、児童文学作家 小森香折氏評。
web版のURLは↓
http://www.mainichi.co.jp/life/dokusho/2002/0825/09.html
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●毎日新聞02・9・8(評者=小森香折)
唐突に婚約を破棄された青年は、理由がわからず、探偵に元恋人の素行調査を依頼する。探偵から見ても依頼者は過不足ない好青年で、相手もつり合いのとれたごくふつうのOLである。なぜ、彼女は婚約を解消したのか?
答えは本書の「探偵物語」をお読みいただくとして、作中の探偵が「対処の困難さよりも、不安定さに、いやな気分を感じる者は意外に多いのである」と述べるくだりがある。
『よるねこ』では、それぞれ異なったテイスト八編のホラーを味わうことができるのだが、作者は巧妙に、読者にこの不安定な気分を提供してくる。
母が女学校時代に猫を見た体験を語る表題作でも、母という身近な存在の正体がゆらぐとき、そのゆらぎに人は恐怖するのである。
男性必読の「女優」がいい。この一編をはじめ、作者は読者の先入観を逆手に取り、恐怖の貌を暗示して想像力を刺激することに傾注している。「なにがどうなったか、はっきり教えてほしい」と思っても無駄なのだ。正体を見極めたとき、恐怖は克服
されるのだから。
入ってはいけない場所に足を踏み入れるという古典的ホラー「X博士」は、江戸川乱歩を彷彿とさせるレトロな雰囲気で語られる。
また「通常潜伏期7日」では、インターネット上の公衆便所である掲示板サイトにはまった高校生を襲う異変が、デジタルに進行する。
帯には「映画には絶対できない恐怖と残酷」とあるが、どぎついカバーから想像されるような、血が飛び散るたぐいの残酷さは一切ない。
モラリストである作者が醸造する残酷さは、もっと洗練されたものだ(「心霊術師」を見よ)。
そしてひかえめな女性が、たんたんと心霊体験を語る「ほんとうの話」と、とりたてて努力もしないくせに、自分の状況を物足りなく感じている派遣社員の女性を描いた「貘」のクライマックスには、みごとな視覚的効果が用意されている。ふるえあ
がって、お楽しみあれ。
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●サンデー毎日(02・9・15)(評者=南伸坊)
八編の不思議な味わいのある怪談がおさめられている。それぞれに工夫があって、話にあわせて文体も微妙に変化する。
帯文に「映画には絶対できない」恐怖と残酷とあるのは、つまり作者のこの文章力を映像に
は置き換えられない、ということだろう。私も同感である。
どこといって指摘はできないが、文字をたどることで、感情に作用する、独特の技がある。
ルビをつけてまで、あえて漢字をつかうかと思うと、ごくやさしい漢字を、あえてひらがなにひらいたりする。その文字をたどるときの効果が、おそらく周到に
計画されているはずだ。
登場人物の会話や、情景描写のディテールやニュアンスも絶品で「怪談」を語るための必要
を超えているのが、かえって新しい恐怖の演出になっている。
すべては、なにげない日常の今すぐそこから始まってしまう不安や恐怖である。
母がコワイ、恋人がコワイ、知り合いがコワイ、職場の顔見知りがコワイ、同級生がコワ
イ、自分がコワイ。
ケータイも、インターネットも、号コンも、ストーカーも、プリクラもメールも、なるほど
こうしてみると、ものすごくコワイとわかる。
つまり目のつけ所が、冴えていて、読み始めたら最後まで離さない。ぐいぐいぐいぐい引き
込まれていく。
たとえば、こんな書き出しで物語ははじまっていく。
「だれかが部屋に入った? ふとそんな気がした」(女優)
「すべてほんとうの話をいたします」(ほんとうの話)
「エックスの2乗プラスエムエックスマイナスカッコ2エムマイナス5カッコイコールゼロ
が重解を持つような定数エムの値と解を求めよ、という問題を机のわきにおいて、みつるは掲示板を見た」(通常潜伏期7日)
どうだろうか? もちろんまだコワくはないだろうが……。
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●「小説すばる」2002年8月号より(評者=大森望)
海千山千の恐怖小説マニアをも唸らせる
姫野カオルコの傑作ホラー短編集『よるねこ』
考えてみると、短編小説のさまざまなジャンルの中でも、ホラー(または怪談)は、パズラーと並んで、いちばん定型化が著しいジャンルかもしれない。「死者からの通信」とか「悪魔との契約」とか「開かずの扉」とか、基本的なパターンがまあ何百かあり、それをどう組み合わせてどうひねり、どう個性を出していくかが作家の腕の見せ所になる。
姫野カオルコの恐怖短編集『よるねこ』は、そうした作家的技術の冴えを満喫させてくれる一冊。既存のパターンを素材に使いながらも、思いがけない料理法で、「そうか、まだこんな手があったのか」という新鮮な驚きを提供する。たとえば表題作は、夢見がちな少女が、自分と正反対の性格の母親の意外な過去を知ることになる話だ。
「よく知っている身近な人物(親兄弟や配偶者)がある瞬間、見知らぬ顔を見せる」というのは、日常に潜む恐怖を描く短編の黄金パターン。それをSFで書くと、フィニィの『盗まれた街』やディックの「父さんもどき」のように、家族がいつのまにか人間そっくりのなにか(異星人とかロボットとか)にすりかわっていた――みたいな話になる。
しかし、姫野カオルコの世界では、そうした“とりかえしのつかない変化”はとっくの昔に起きてしまっている。なにか恐ろしい間違いが起きたのに、だれもそのことに気づかず、平凡な日常が続いてゆく……。
タイトルの「よるねこ」とは、深夜、女子校の寄宿舎を徘徊し、人の魂を食べるという“呪の青猫”だが、著者はそれをいまどきの“学校の怪談”として語ろうとはしない。物語の現在は、その約二十年後。呪の青猫と遭遇した女生徒は結婚して娘を産み(小説はその娘の視点から描かれる)、ごく平凡な母親となっている。身も蓋もない一言で魔法の効用を否定したり、温め直した味噌汁を冷えたご飯にぶっかけて食べたりする“無神経”なお母さん。家族コメディの主役を演じてもおかしくないキャラだが、姫野カオルコは(映画『アンブレイカブル』がギャグみたいな素材から比類ない恐怖を紡ぎ出したように)そういうどこにでもいる平凡な母親像に、驚くべき戦慄を発見して見せる。
また、「吉田は力持ちだったので、倉庫に勤めていた」という印象的な書き出しで始まる「心霊術師」は、“悪魔との契約”に失敗した(というか、悪魔が契約しにくるのを忘れた)女性が主人公。彼女もまた、(悪魔と契約しなかったおかげで)ごく平凡な毎日をしあわせに送っているのだが、その人生にじつは決定的な間違いがあったことが暗示される。こういう話をこういう角度から書いた短編は、たぶんホラー史上初めてだろう。
海千山千の恐怖小説マニアをも唸らせる、いずれも高水準の全七編。