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『ちがうもん』文春文庫 2004年11月発売
(旧題・特急こだま東海道線を走る)

昭和30年代を知る者にとってはたまらぬ懐かしさと、自らの子供時代に対する一抹の悔恨のようなものがない交ぜになって何とも言えない情感に満たされる作品。戦争で一度リセットされた日本が戦後15年たって、やっと貧しさから抜け出しつつあった1960年頃。1964年の東京オリンピック開催を契機に、日本はイケイケの高度経済成長を遂げ、1970年代の二度に及ぶオイルショックも乗り越えて、一億総中流の世界に名だたる経済大国になった。1980年代はバブル景気に浮かれて土地が高騰し、ご存知バブル崩壊で1992年以後の15年間は泥沼のような不況に陥った。

昭和30年代(1955〜1965)という時期は、人々の間に貧富の差が歴然と日常的に存在した。その意味では平成の現在、我々の社会が向かっていると言われる貧富の格差が広がる階層社会と似ているかもしれない。平成18年の社会は稼ぐ金額の多寡で人を勝ち組と負け組に分別するようなギスギスしたものだが、昭和30年代には貧しさは負けではなかった。なにせ戦後のスタート時からすれば全ての人は豊かになったとも言える。テレビや電話を買った者たちは、それらを近所の人々と分かち合うのが当たり前のことでもあった。しかし社会の成熟を計るものさしとして、例えば人権という意識は長い時間を経て民主主義とともに醸造されてきたものであり、昭和30年代には今では考えられないような差別が存在した。昭和30年代とは光と影の陰影が今より濃く、ノスタルジーだけでは語りきれない未成熟の荒々しさも内包した時代だった。

本書『ちがうもん』においては子供の視点が大きくクローズアップされる。よく子供は純真無垢だと言われたりするが、子供が子供であることの大きな要因は、自らの欲望にたいして無自覚でしかも抑制がきかないということだと思う。全ての行動が快不快によっている状態こそが無垢なのであって、少しでも社会的な行動を取ればすでに純真は失われているのではないだろうか。 この場合の社会とは親を含めて半径500mぐらいがその全てであるような社会を差す。その意味で本書の主人公である子供は、親やともだちや他人にまで気を使っており、自分をころすことを知っている。本書は大人になった主人公が曇った鏡を磨くように自分の記憶を辿って現れた、「あらかじめ失われた純真」の物語である。

読者は子供がその置かれた環境で、健気に振る舞うさまにいたましさすら感じるかも知れない。しかし、作者の分身でもあると思われる子供も、のちの大人も自分が不幸とは思わず、自分で選択できない環境に起因することを悩んだり怨んだりしてもしかたがない、というある種の諦念を有しているように思われる。こうした諦念を持つことは、自分自身の存在を認め確認するための通過儀礼の様なものであって、けっしてマイナスの感情ではない。

本書は作者自身にとって、自らの記憶を元にして、子供ゆえに言葉にできず苦しくもどかしかった思いを理解し、止揚するための確認と再出発のための作品でもある。本書を手に取る様々な年代環境の読者にとっては、記憶による時間旅行をするためのツールともなるだろう。随所に散りばめられた記憶喚起装置のスイッチは、例えば方言による少女の会話だったり、昭和30年代の風景描写であったりする。
(管理人がハイド名義でレビュージャパンに投稿したものを再構成した)



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